感動した作品
「卵からひよこまで」
僕たちは、理科の学習で、ひよこを玉からかえす実験をした。僕はどのようにかえっていくかと思った。
卵をふ卵器に入れた。これから、三日、五日、八日、というふうに、わってなかを見ることになっている。その卵は不運な卵だと思った。
いよいよ三日後、先生が卵をわられた。みんな興味深く見入っていた。僕も見た。すると心臓ができ血管が広がっていた。たった三日間でこんなに育つものかとおどろいた。その反面、人間はざんこくだと思った。かえりかけている一個の生命を、殺してしまうのだから、学習のためとはいえ決してよくない。
八日後、からだの形ができていた。
二十一日後、卵にひびがはいった。見つけた僕は、教室に走って行って言った。「卵にひびが」するとみんなは走っていった。
その日の放課後、からをわってかえった。休み時間ごとに観察していた。だんだんひびがはいり、そして誕生。
翌日、ひよこは立ち、毛はふさふさしていて黄色みを帯びていた。ふ卵器に耳をちかづけると鳴いていた。
(は組Fくん)
「私の決めた道(将来)」
私は将来、医者になって無医村に行き、めぐまれない人々のためにつくしたい。
小さいときは、ピアニストか小説家になろうと思っていた。それは、自分の趣味で‥‥‥というか、自分のことしか考えない夢だった。だがある日、私は気がついたのだ。どうせ人の一生は短いのだ。同じ一生なら、それを人々のためにささげたほうが良いのだと‥‥‥。そして医者になる決心をしたのだ。
私が医者になろうと思ったのは、もう一つわけがある。以前、先生が、インドのらい病を直すため、自分も、らい病になるのを覚悟の上でインドにわたった医者の話をして下さった。その時深い感動をうけ、私も医者になりたいと思った。でも、普通の開業医のように、ありきたりのものではなく、本当にめぐまれない人々のためにうちこみたいのだ。
そう考えたとたん、無医村のことが頭に浮かんできた。無医村に行こう! そしてそこで一生を無医村の人々のためにささげよう。私のこの手で尊い生命を救ううのだ。
単なる夢として終わってしまわないで、本当にこのことだけは実行したい。
(は組Tさん)
「新聞配達」
ぼくは、6年生になった時、「新聞くばりしないか」と父からいわれた。その時は、何も考えていなかったので、何気なしに「やる」と決めた。
ぼくが学校から帰ると、ちゃんと新聞がきている。はじめは、学校をでると、新聞くばりを楽しみに、家へ帰った。
でも、今のぼくはちがう。
寒い冬や雨の日は、いつもやめたい、やめようと思うことがある。
五十軒くばるのであるが、ふぶきや雨ふりは自転車に乗ることもできず、ぬれないように一軒一軒くばらなければならないし、足や手の冷たさはほんとうに泣けるくらいである。
父に「やめたい」といった。「なぜや」といわれた時、こたえられなかった。よく考えると、こんな寒いくらいのわけでやめるのは、勇気がないと思ったので、やっぱり続けようと思った。
また、「おはよう」「ありがとう」「ごくろうさん」といってくださる、おじいさんやおばあさんもあり、本当にぼくの気持はうれしくなる。やっぱり続けてやろうと決めた。
(ろ組Yくん)
「学校花園」
入学式の時、母に手をひかれ、校門をくぐりぬけた時、一番に目に入った学校花園は、とても美しく、きれいに花が並んでいて、私たちをあたたかく迎えてくれた。
私が大きくなったら、花を育てて、新しく入学してくる一年生を、あたたかく迎えてやろうと心に決めた。
私は、花を見ていると、心が落ち着いて、とてもすがすがしい気持ちになってくる。戦いをしらない花がうらやましい。
バラやチューリップ、ほかにも外国から日本に来ている花がある。でも日本の花でも、外国の花でも、花がもっている美しさは、どれも同じだ。
私は6年生になって、栽培委員会に入って、花を植えたり、水をやったり、雑草をとったりして花を美しく育てた。今はパンジーが学校花園に植えられている。
花を植えると、日本や学校が明るくなり、美しくなる。そして、外国からも、日本は美しく明るい国のように、見てほしい。
大人になったら、たくさん花を作って、花屋を開きたい。みんなに、花はとても美しく、心が落ち着くということを、知らせたい。
(ろ組Oさん)
僕たちは、理科の学習で、ひよこを玉からかえす実験をした。僕はどのようにかえっていくかと思った。
卵をふ卵器に入れた。これから、三日、五日、八日、というふうに、わってなかを見ることになっている。その卵は不運な卵だと思った。
いよいよ三日後、先生が卵をわられた。みんな興味深く見入っていた。僕も見た。すると心臓ができ血管が広がっていた。たった三日間でこんなに育つものかとおどろいた。その反面、人間はざんこくだと思った。かえりかけている一個の生命を、殺してしまうのだから、学習のためとはいえ決してよくない。
八日後、からだの形ができていた。
二十一日後、卵にひびがはいった。見つけた僕は、教室に走って行って言った。「卵にひびが」するとみんなは走っていった。
その日の放課後、からをわってかえった。休み時間ごとに観察していた。だんだんひびがはいり、そして誕生。
翌日、ひよこは立ち、毛はふさふさしていて黄色みを帯びていた。ふ卵器に耳をちかづけると鳴いていた。
(は組Fくん)
「私の決めた道(将来)」
私は将来、医者になって無医村に行き、めぐまれない人々のためにつくしたい。
小さいときは、ピアニストか小説家になろうと思っていた。それは、自分の趣味で‥‥‥というか、自分のことしか考えない夢だった。だがある日、私は気がついたのだ。どうせ人の一生は短いのだ。同じ一生なら、それを人々のためにささげたほうが良いのだと‥‥‥。そして医者になる決心をしたのだ。
私が医者になろうと思ったのは、もう一つわけがある。以前、先生が、インドのらい病を直すため、自分も、らい病になるのを覚悟の上でインドにわたった医者の話をして下さった。その時深い感動をうけ、私も医者になりたいと思った。でも、普通の開業医のように、ありきたりのものではなく、本当にめぐまれない人々のためにうちこみたいのだ。
そう考えたとたん、無医村のことが頭に浮かんできた。無医村に行こう! そしてそこで一生を無医村の人々のためにささげよう。私のこの手で尊い生命を救ううのだ。
単なる夢として終わってしまわないで、本当にこのことだけは実行したい。
(は組Tさん)
「新聞配達」
ぼくは、6年生になった時、「新聞くばりしないか」と父からいわれた。その時は、何も考えていなかったので、何気なしに「やる」と決めた。
ぼくが学校から帰ると、ちゃんと新聞がきている。はじめは、学校をでると、新聞くばりを楽しみに、家へ帰った。
でも、今のぼくはちがう。
寒い冬や雨の日は、いつもやめたい、やめようと思うことがある。
五十軒くばるのであるが、ふぶきや雨ふりは自転車に乗ることもできず、ぬれないように一軒一軒くばらなければならないし、足や手の冷たさはほんとうに泣けるくらいである。
父に「やめたい」といった。「なぜや」といわれた時、こたえられなかった。よく考えると、こんな寒いくらいのわけでやめるのは、勇気がないと思ったので、やっぱり続けようと思った。
また、「おはよう」「ありがとう」「ごくろうさん」といってくださる、おじいさんやおばあさんもあり、本当にぼくの気持はうれしくなる。やっぱり続けてやろうと決めた。
(ろ組Yくん)
「学校花園」
入学式の時、母に手をひかれ、校門をくぐりぬけた時、一番に目に入った学校花園は、とても美しく、きれいに花が並んでいて、私たちをあたたかく迎えてくれた。
私が大きくなったら、花を育てて、新しく入学してくる一年生を、あたたかく迎えてやろうと心に決めた。
私は、花を見ていると、心が落ち着いて、とてもすがすがしい気持ちになってくる。戦いをしらない花がうらやましい。
バラやチューリップ、ほかにも外国から日本に来ている花がある。でも日本の花でも、外国の花でも、花がもっている美しさは、どれも同じだ。
私は6年生になって、栽培委員会に入って、花を植えたり、水をやったり、雑草をとったりして花を美しく育てた。今はパンジーが学校花園に植えられている。
花を植えると、日本や学校が明るくなり、美しくなる。そして、外国からも、日本は美しく明るい国のように、見てほしい。
大人になったら、たくさん花を作って、花屋を開きたい。みんなに、花はとても美しく、心が落ち着くということを、知らせたい。
(ろ組Oさん)