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クラブと委員会

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ha_127.jpg●6年い組さんの「あせをながしたクラブ・つらかった委員会」より

●ぼくは、サッカークラブにはいった。先生は福永先生だ。はいった動機は、スポーツだし、いいなと思ったからはいった。はじめはつらかったけど、あとからがんばろうと心の中で思った。そして、雪がたくさん積もり、サッカークラブは終わってしまった。そして、中学校へいったらサッカーがあったらいいなとおもっている。
(HTくん)

●私たち美化委員会は水道そうじをすることになっている。そうじをする時は、いつもおかずの残りやすみがついている。それを冷たい水で落とすのだが、手がかじかんでうまくそうじができない。だが、この学校のために、きれいにして卒業していきたいという気持ちで、がんばってみたい。
(RKさん)

●放送委員会、文芸クラブ、郷土クラブに、5、6年入りました。5年の時は郷土クラブで、いろいろと郷土のことをまなび、6年の今は、文芸クラブで、小説を書いたり、読書をしています。委員会は、5、6年とも放送委員会で、運動会、校内放送、とてもおもしろかったです。いつまでもやりたかったです。♡
(NDさん)

●6年生になってぼくは栽培委員会に入った。男子は、4人しかいないので、なぜかへんな気持ちになった。ぼくたちは力仕事(たがやし・わらきり)などである。いやな仕事は、おちばの集めた物をくさるようにした仕事である。水をかけたため服がぬれたり、鳥のフンの粉がかかたりしたから。でもなぜか‥‥‥。
(TNくん)

●いまの飼育委員会は、とてもおもしろいです。先生もみんなもとてもおもしろい委員会です。ほかの委員会よりもとてもいい委員会です。でも、魚や、小鳥の世話をしています。はじめは、なれていなかったけれど、今では、なれてしまって、たのしくなりました。
(ENさん)

●5年のときは、栽培委員会だったのですが、6年になって保健委員会にはいりました。保健委員会での仕事は、朝学校にくると保健室にいって、まずはじめに健康観察票を各組にくばり、そのあとに1年から6年までのうがい水を作るのだ。このうがい水を作るには水をさわらなければならないので、風のピューピューふいている時などは、とてもつめたくてひとには言えないような冷たさです。
(YMさん)

●5年、6年と図書委員会に入り、6年には、副委員長になった。しかし、この一年間責任をもてる行動を行っただろうか。当番の時でも、昼休みしか行かなかった。どちらかというと、5年の時の方が、ちゃんと忘れずに行っていた。卒業を目前にして、こんなことではいけないと思う。わたしは、なぜ委員会というものがあるのか、やっとわかってきた。
(YNさん)

●花を育てたり、水をやったり、そんな仕事をするのが大好きで、栽培委員会にはいりました。はいってみると、とてもつらくて、えらい仕事です。でも、長い冬を越えて、花が咲く。それを見るのが楽しみで、つらい仕事、いやな仕事もやろうという気が出てくるのです。パンジー、デージーなどのいろいろな花が、今年もりっぱにかわいくさいて、私たちの卒業していく姿を見てもらうために、委員会の仕事を、まじめにして、りっぱな、かわいい花をさかして、私たちを見守ってほしいと思う。
(HTさん)